あの頃、夢中で潜ったダイビング R50

何もかもが新鮮で、とにかく海が大好きで、ダイビングが大好きで

夢中で潜ったあの頃の思い出を綴ってみました。

同世代の方ならきっと共感して頂けるはず。(長いので興味の無い人はすっ飛ばして下さい(笑)

 

 ダイビングといえばやっぱりあの映画! 

かれこれ2~30年前、時はバブル真っ只中に第一次ダイビングブームと言うのがありました。当時「彼女が水着に着替えたら」と言う映画があり(詳しくはこちらWiki)

彼女が水着に着替えたら
「彼女が水着に着替えたら」の原田知世と織田祐二

 

こんな世界があるのか!と当時の若者に大ヒット!それに伴いダイビングのライセンス講習を受講する人の数も急激に増加、当時私が働いていたダイビングショップでは高価なダイビング器材のフルセットが毎日10セット以上売れて行き、ダイビングインストラクターの仕事は息をつく暇もないくらい忙しく、大げさな話「陸に居るより水中に居る方が長い」ほどの激務でした。(今から考えるととんでもないブラック企業ですね笑)

 

 ダイビング狂想曲時代 

海も当然大渋滞でダイビングの講習中も陸で休憩するテーブルは取り合いでした。まさにダイビング狂想曲という様相です。

当時はまだ大阪から和歌山に向かう高速道路は海南湯浅道路しかなく(しかも1車線の対面通行でした。あの長いトンネルが対面通行なんて危険ですよね)湯浅から南は延々と国道42号線を走るしかありません。土日とダイビング講習をして日曜日の夕方大阪に向かって帰る頃には家族連れの観光客や日帰りの海水浴客なども加わって超大渋滞(串本から大阪まで10時間以上掛かるなんて事もざらでした)

夏休みの一日だけ渋滞を我慢したら良い一般車とは違い我々ダイビングインストラクターはこの渋滞に毎週巻き込まれるのですからたまったものではありません。当然渋滞の無い道を求めて裏道を駆使して少しでも早く帰ろうとするのですが当時のダイビングショップの車と言うのは宣伝も兼ねてショップの名前や電話番号を横っ腹にデカデカと書いてあるものですから国道から裏道に入ったとたん一般車が「ダイビングショップのプロが行くんだから絶対裏道に違いない」と何十台も後ろを付いてきたりしたものです(笑)

当時は各ダイビングショップ毎に秘密の裏道を持っておりベテランインストラクターから新米インストラクターに一子相伝に受け継がれていく財産の様なものでしたね。懐かしい古き良き時代です…シミジミ。。。

 

大阪北浜ダイビングスクールBLUE LAGOONダイビングショップの矢印のイラスト

 ダイビング業界を不況の波が襲う 

その後、バブルがはじけ日本が長い不況のトンネルに入ってしまったり皆さん結婚されたり出産されたりであれだけ居たダイバーが段々と少なくなって行きました。

今は高速も周参見まで繋がり串本までも国道は最後の20分ほど走れば良い様になりましたし、あの気が狂いそうな大渋滞も今は見る事は出来ません。

当時、栄華を誇った老舗ダイビングショップもある店は業種を変え、ある店は店をタタミ、ある店は規模を縮小しなんとか生き残り、紆余曲折を経てなんとか今もダイビング業界の火を消すことなく我々ダイビングインストラクターはそれこそ死にもの狂いで守ってきました。

 

大阪北浜ダイビングスクールBLUE LAGOONダイビングショップの沈没船の写真

 子供のころ憧れたスキューバダイビング 

子供の頃憧れた海の中の世界。テレビや映画の中でしか見る事の出来ない神秘と冒険の未知なるフィールド。海を行く船を襲う大ダコや水底に横たわる沈没船に眠る宝箱には目も眩む様な金貨がぎっしり。しかし近づくには大きなサメの群れを潜り抜けなければならない。。。なんて夢の様な物語。

昔のダイバー

しかしダイビングとは屈強な海の男の世界であり、鍛え抜かれた肉体を持つ米兵が何百万もする専門器材を使ってやるスポーツである。そんな時代がありました。当時の日本人は見よう見マネで空になった消火器に圧縮空気をつめて潜ったりしていたそうです。ダイビング暗黒時代です。

 日本ダイビング創世記 

その後PADIのダイバー教育システムが渡来し日本にやっとレジャーダイビングの小さな小さな火が灯ったのです。ちょうど大人になっていた私達はむさぼる様に吸収し寸暇を惜しんで海に潜ったのです。しかしながら当時のダイビング講習のやり方は「ダイビングを出来る様に教える」のではなく「ダイビングに適さない人」を落とす事に重きを置いていました。つまり「まずはシュノーケリングの練習」から始まり、「巣潜りで深度15mまで潜れないレベルの人」にはタンクさえ背負わせない。厳しい訓練を乗り越えた人だけにライセンスを渡す、と言う非常に日本人的なやり方です。まるで海猿の様な講習です。その後ダイビング先進国のアメリカの様に「出来ない人を出来る様にする」と言う講習スタイルに徐々に追いついて来てこの火を消してはならないと強く思ったものです。二度と日本をダイビング暗黒時代にしてはいけないとインストラクター全員が思っていたのです。ですからバブル崩壊の不況の嵐の中、業界人はみんな戦ってこの火を守って来たのです。

 

大阪北浜ダイビングスクールBLUE LAGOONダイビングショップのプール講習の写真

 ダイビング新時代 

長引く不況にも陰りが見え始め、近年ダイビングライセンス講習の受講者数もわずかながら上を向き始めました。これからが日本のダイビング業界にとって新時代の幕開けになると期待に胸が膨らんでいる今日この頃です。

そして今・・・

何より私が感じているのはリターンダイバーと言うムーブメントです。

私はバイクが好きなのですが皆さんはバイク業界で使う「リターンライダー」と言う言葉をご存知でしょうか。

昔、現役でライダーだった人達が50歳を超えてひと段落し、お金も自由に使える様になり、昔は高くて手が出せなかったバイクを買える様になり、二度目の青春を謳歌している、らしいのです。

言われて見れば街で見かける大型のバイクは圧倒的に「おじ様」が多いと思います。

バブル崩壊のあの頃、不況や結婚や出産で海から離れていったダイバーの方達も年数を数えてみれば確かに子育ても終わりまた自由に使えるお金も増え、時間も取り戻しつつある。。。そんな人生二度目の青春時代に突入する時期がちょうど今なのだと思います。

 

大阪北浜ダイビングスクールBLUE LAGOONダイビングショップのダイバー仲間の写真

 人生で決して色あせる事のない大切な想い出 

当時はまだカメラはフィルムで写真はアルバムの中。でもそこには決して色あせる事のない海での素晴らしい想い出の数々が眠っているのではないでしょうか。

海と言うのは不思議なもので毎週通っていた頃にはあんなに身近に感じていたのに、少し離れて時間が経ってしまうと自分と海との距離はとてつもなく遠い様な気がしてしまう。。。海はいつも変わらずそこにあると言うのに・・・。

あれほど毎週通った道なのに忙しい日々に忙殺され足を向ける事さえなくなり、どんどん遠くに行ってしまう。まるで大潮の引き潮の様に。波打ち際が遥か遠くに退いてしまう様に。

もう戻れない様な気がしてしまう。でもあの楽しかった想い出だけは永遠に色あせる事はない。時は「過ぎ去るもの」ではなく「積み重なるもの」で、青春とは「燃え尽きる」ものではなく「永遠の輝き」の中にあるもの。

そう、これを読んで頂いている貴方はもう気付いているはずです。私達が消さぬよう必死で守ったあの小さな灯火が、まだ貴方の胸の中で燃え続けていることを。。。

 もう一度、海へ・・・ 

海は今でもあの日のままの姿で私達を待っていてくれています。

夢中で潜ったあの頃、仲間と笑いあって、はしゃいだあの日のまま。

初めて海に潜った時のあの感動。

目の前を通り過ぎて行く色とりどりの魚達。

水中から見上げた太陽のキラキラがこんなに美しいとは思わなかった。

こんなに地球は美しいんだと改めて思ったあの日。。。

貴方にもう一度海に戻って来て欲しい。

私が、いやダイビング業界全員が貴方にもう一度潜ってみて欲しいと思っているのです。

勿論あの頃と同じ感動や感想ではないと思います。

年齢も違えば人生経験も違う。あの頃の自分と今の自分では違いすぎる。

でも今の自分だからこそ感じる何かがあるはず。

あの頃は若造で気付けなかったけれど今の自分だからこそ気付ける何かがきっとあります。

それが何なのか。

このまま海が遠い存在のまま過ぎ去ってしまうのではなく

今一度あの煌きが何だったのか確かめにきて欲しい。

我々ダイビング業界は全力でそのお手伝いをする覚悟です。

必ずやまた海でお会い出来る事を信じてお待ちしております。

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